インクルーシブ・メディア Encouraging Inclusivity in Media -メディアによる包摂と排除-

ノート|05

社会的弱者に寄り添うもう一つのジャーナリズム ~原爆小頭症を支え合うきのこ会の歩みから~

土屋 祐子

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5.場と表現様式の創意工夫

現在広島では被爆者の方たちの語りを聴くための場づくりが、若い世代の手で行われています。広島市の歓楽街の「バー スワロウテイル」では毎月6日に「原爆の語り部 被爆体験者の証言」が行われています[10]。また平和記念公園近くの「Social Book Café ハチドリ舎」では「『6』のつく日 語り部さんとお話ししよう」という取り組みを行っています[11]。いずれも大勢の前で一方的に講演するような会ではなく、身近な空間で言葉を交わしながら原爆の経験や記憶を共有していくような場です。こうした対話の場では、共感に基づいて言葉を引き出していくというケアのジャーナリズムと重なるような活動が自然と行われていると言えるでしょう。

また、広島においては継承の試みにおいてもこうした対話に基づく表現活動が営まれています。広島市立基町高等学校の創造表現コースでは高校生が被爆者に話を聞き、原爆の記憶を絵に描く活動を10年続けています[12]。高校生たちは証言者に何度も話を聞きに行き、意見をもらって描き直し、記憶を追体験しながら絵を完成させます。演劇においてもこうした活動はあります。ロンドンバブルシアターや世田谷パブリックシアターのスタッフと子どもコミュニティネットひろしまが協力して制作した「ヒロシマの孫たち」は原爆投下時の話を子どもたちが聞き、そのオーラルヒストリーに基づき芝居を立ち上げていく舞台劇のプロジェクトです[13]。子どもたちは話を聞き、演じる中で原爆の理解を深めていきます。彼・彼女らは、聞いた話から自分なりに意味を見出し、その解釈に基づいて身体的に表し、演じるのです。

こうした若者や子どもたちが被爆者の話を聞き伝承していく活動は、ヴィジュアライゼーションなどデジタル技術を用いて製作された「ヒロシマ・アーカイブ」でも行われています[14]。アーカイブには高校生が録画した被爆者の証言動画が保存されています。また、筆者自身も参加している「メディアコンテ」プロジェクトでは、社会的弱者やその家族たちを対象に自分の想いや日々の出来事を表すデジタルストーリーテリングという写真と自分の声で構成する自己語りの動画作りを行っていますが[15]、そこでは大学生ら若者たちが協働制作者として、話を聞き出し、ストーリー構成のアイディアを話し合い、写真を集め編集するなどサポートを行っています。2017年5月には原爆小頭症の方の人生をふり返るワークショップを行いました[16]。このように、被爆者の語りを拾い上げ、共有する試みはマスメディアだけでなく、多様な表現様式を用いて普通の人びとの間で実践されています。

被爆者や社会的弱者は偏見や差別、周囲の無理解にさらされてきました。そうした彼らの声を拾い上げていくための場のあり方や表現様式は人びとの創意工夫によって刷新されてきましたし、今後もされていく必要があります。例えば、対話のための場づくりをジャーナリズム活動と位置づけ、そうした場から人びとの声を拾い上げていくような取材手法がもっと広く取り入れられてもいいかもしれませんし、上述したような多様な表現活動を広義なジャーナリズムと捉え概念を積極的に拡張していくことも重要かもしれません。

最後に、こうしたもう一つのジャーナリズムを考えることは、社会的弱者に限って必要なことではないことも指摘しておきたいと思います。常にスマートフォンを持ち歩き、SNSなどの情報共有サービスがあふれる中、ブログやツィッター、インスタグラムへの投稿など、社会の出来事の発信はプロのジャーナリストでなくても、当事者、第三者問わず行われています。戦後確立したジャーナリズムの輪郭がぼやけていく中で、新聞社や放送局などマスメディア産業自身も、新たなジャーナリズムを模索している状態です。例えば2014年から朝日新聞社が手がけるウィズニュース(https://withnews.jp/)は、読者から寄せられる社会への疑問や質問などの取材リクエストに基づき記者が調べて記事を書く取り組みで、漫画を用いた記事もあり、従来の正統的なジャーナリズムとは一線を画す柔和なイメージを持って表されるコンテンツになっています。また、広島の中国放送ではラジオとインターネットの動画配信とを連動させ、タレントやコメンテーターなどのプロの出演者でなく、町づくりや平和活動、若者のトレンドなど各回のテーマ毎に様々な一般の人を呼んでカジュアルに議論する番組「勝手にトークひろしま!」を2010年から続けています[17]。そこではラジオスタジオは普段顔を合わせない多様な活動に従事する人たちが対話する場になっています。取材する側とされる側、記者と読者、制作者と視聴者との新たな関係作りを試みながら進められているジャーナリズムと言えるでしょう。社会的弱者のためのジャーナリズムを考えることは、ジャーナリズムの新たな可能性を見出していくことになるのではないでしょうか。