インクルーシブ・メディア Encouraging Inclusivity in Media -メディアによる包摂と排除-

ノート|04

監視か、見守りか 認知症の人を見守るメディアとは 安心して外出(徘徊)できる地域社会をつくるために

松浦 さと子

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地域を見守る住民ディレクターのカメラ 東峰村テレビ局

伊丹市の1000台の監視カメラが、犯罪抑止という目的だけでなく、高齢者や子どもたちの安全、ひいては防災にも役立てることができるように、街中に設置された数多くのカメラを地域社会がどのような運用をしてゆくのか、地元の協力のもとでの稼働の行く末に無関心でいてはいけないのでしょう。

コミュニティに多くのカメラがある、という点で注目したいのは、住民が日常的に隣人の暮らしを撮影している住民ディレクター[7]という活動です。最近では、2016年熊本地震で被災した熊本県益城町や、2017年九州北部豪雨に襲われた福岡県朝倉郡東峰村での取り組みで注目されました。日常の生活を住民がビデオカメラで相互に記録するこの活動は、現在東峰テレビ局(村営CATV)[8]プロデューサーの岸本晃さんが20年ほど前から提唱し全国各地で広めてきたものです。奇しくも岸本さんは2年続けて九州の両地域で被災者となってしまいましたが、打撃を受けた地元の状況を映像で記録し発信を続けていました。熊本では全国の住民ディレクターが応援に駆けつけ、被災した現地の住民とスマートフォンを用い被災状況を中継しました。出張していた岸本さんは東峰村の豪雨直後に急ぎ帰村、濁流が襲った道路や橋、田や畑の様子を記録し、避難先から帰宅する人々や、道路の復旧にかけつけ自宅の片付けを後回しにしてしまう住民たちを撮影、その状況をFacebookで発信しました。被災した東峰村民の復興時の生活は、それらのビデオ映像に残されています。各地から支援に来訪するボランティアを送迎する住民の笑顔、伝統ある焼き物の窯の泥を拭い去った窯元の暮らし、農家の人々が農道を修復する様子も、岸本さんや住民のカメラによって記録されました。マス・メディアが駆けつける前に、濁流による被災直後の映像が地元で記録されていたことは、今後の防災の観点においても意義深いことと思われます。何より、それらの映像を題材に後日ケーブルテレビで住民たちが番組「知山知水」を作成し、映像を視ながら語ることで、関係が一層親しくあたたかく強くなっているように感じられました。映像を囲む人々が親戚同士のような。

住民ディレクター提唱者 岸本晃さん
九州北部豪雨の被災地写真

東峰村が好きであると公言する人が、東峰村をどうしたいのかを「自分ごと」として積極的に表現し行動する人々が住民ディレクターであると岸本さんは強調し、ビデオカメラで映像を撮る活動だけを指すのではないと言います。「認知症の人が徘徊(外出)していたら誰かがすぐ声をかけて撮っとる」と。1000台の見守りカメラと決定的に違うのは、カメラがそこでコミュニティの生活道具であること。そこで助け合って暮らしていきたいと思う住民が、撮るぞという気負いなく、メガネのように身近なカメラを「手にとって」いること、雨戸の閉まっている家を心配し合っていること、互いに気遣い、見守り、支え合おうとしていることでした。

住民たちのカメラも相当な台数ですが、それらのカメラが住民同士を撮りあっていることについて「見張られている」、「監視」、「権力」を感じることはないようです。なぜなら、カメラを持っている人々に優しさと愛があるからだと、岸本さんは照れることなく語ります。

地域の見守りを地域のコミュニケーションのなかに

コミュニティでビデオカメラを用いて活動をしている人々のなかには、認知症の高齢者の安全を1000台のカメラに委ねることに抵抗を感じるという人がいます。

それは、隣人の撮影した映像を地域で鑑賞しあい、感想を述べ合う「カフェ放送てれれ」[9]という大阪発の活動の主宰者です。どんな映像作品にも作り手には言いたいことがあるはずで、それを隣人たちが観て聞いてほしいと、下之坊修子さんたち女性のグループ「AKAME」が喫茶店など小さな上映場所を地域社会につくったのがこの活動です。下之坊さん自身も映像作家で、特に女性のドキュメンタリーを制作してきました。強制不妊手術をされた障害者の佐々木千津子さんが生を謳歌し、間違った手術だったことを訴える映画が再び注目を集めています。佐々木さんの人生は「カラフル」で「チャーミングな」自立生活だったと『忘れてほしゅうない 隠されてきた強制不妊手術』(2004)『ここにおるんじゃけぇ』[10](2010)は旧優生保護法の問題を地道に伝えて来た作品です。訴訟も起き、約16500人もが手術を強制された問題の大きさがようやく気づかれるようになってきました。

カフェ放送てれれの下之坊修子さん

主宰者の下之坊修子さんは最近、生まれ故郷に引っ越しました。友人から遺産を託され、河内長野に古民家を購入、野菜づくりをしながら蒟蒻や干し柿、綿繰りや餅つきなど「めんどくさいことを手放さない暮らし」を楽しんでいます。

将来はここをグループホームにして、と老後を語りながら、認知症で徘徊(外出)する友人が居たら、機械のカメラ任せにしてしまうのは怖いといいます。「もし、1000台のカメラが見守ってくれてるとほっとしたら、その途端、私らは見守るチカラ、気遣うチカラを機械に奪われてしまうと思うねん。機械に任せると決めた途端、何かが私らからなくなってしまう」。下之坊さんは、見守るチカラがコミュニティからも奪われるのではないかと心配しているのです。

当事者の声を聴く -行方不明者増加を背景に

2017年7月6日のニュースでした。警察庁の発表[11]によると、認知症が原因で行方がわからなくなったと2016年に届け出があった行方不明者は過去最多の1万5432人。計測が開始された平成24年(2012年)から4年連続で増加しており、認知症の人々や家族への対応が課題となりました。しかし、現在では、認知症についても研究が進み、徘徊は決して理由がないわけではないことが明らかになっています。認知症ねっとには「客観的には目的不明に見えますが、本人にとっては、はっきりとした目的がある場合が多いのです。」と解説があります[12]

こうした本人の外出の目的をうかがい知る一つのメディアが、がんや認知症の体験談を動画や音声で届ける認定NPO法人「健康と病いの語りデータベース」です。 ディペックス(DIPEx)・ジャパンの「認知症本人と家族介護者の語り」のサイト[13]には、認知症患者本人のインタビューが動画で紹介されています。たとえば「認知症の語り」「『徘徊』と呼ばれる行動」のページには、当事者の方々の語りがそのまま掲載されています。事例の積み重ねから、認知症の症状の類型化も分析も進んでいる上に、こうした語りを読めば、家族の行為が突飛な行動や言動ではなく、よく見られるものであるという安心感も得られるでしょう。たとえば「徘徊」については、その根底に意識障害や認知機能障害があり、自分がいる場所・時間の見当がつかなくなり(見当識障害)、これが長年の生活習慣や職業習慣と結びついて、いろいろな種類の「徘徊」を引き起こし、ストレスや不安・緊張などが加わると、その傾向は一層強くなるのだそうです。

「80代の妻は時間の感覚がおかしくなっていて、寝る時間になっても寝なかったり、暗いうちから起き出したりする。何度も自分(夫)のふとんを引っ張るので眠れない」[14]

インタビュー介護者27
インタビュー時:88歳(2012年6月)関係:夫(妻を介護)

「母は娘の家にいても自分のうちと思えないらしく、父のご飯を作らなくちゃと言って出て行ってしまう」[15]

※認定NPO法人健康と病いの語りディペックス・ジャパンから了解を得て、転載

当事者の声に耳を傾けることによって、徘徊の傾向が理解できることもあるのでしょう。またこうした事例の積み重ねの記録が、徘徊のメカニズムを探っていくのかもしれません。

「安心して外出(徘徊)できる町」にするために

国際アルツハイマー病協会国際会議で、オーストラリアのクリスティーン・ブライデンさん(68)[16]は、早期診断が広がったことから「認知症イコール人生の終わり」ではないこと、新しい見方に立って医療も社会も代わらなければならないこと、そのために、当事者自身が声をあげ「見える存在」になる必要があることを語っています。ブランデンさんはNHKハートネットTVのドキュメンタリーでも紹介されました。認知症当事者が声を上げることは難しいかもしれませんが、先のDIPExのような取り組みはその一助になるように思われます。

まちで目に見える存在となるために、認知症の方々の外出を受けとめ「安心して外出(徘徊)できる町」を目指す大牟田市について猿渡進平さんが報告しています[17]

大牟田市では、認知症の方々の徘徊による行方不明者が発生したと想定し、徘徊役が市内を「模擬徘徊」している間に、警察や消防、行政が連携し、地域住民や生活関連企業、介護サービス事業者等に情報伝達を行い、その情報を得た住民らがサポーターとなって、外出(徘徊)役を探し、声をかけ、無事に保護する訓練が行われています[18]

この町のコミュニティのメディア「ほっと安心(徘徊)SOSネットワーク 徘徊模擬訓練」のポスターには、山口蒔乃(白光中学校2年生)さんによる「『どこに行きよんなさっと?』その声を待ってる人がいる」というコピーが掲載されています。まるで徘徊する人々を、地域の人の声がけが「受けとめている」状況を伝えているように思えます。

ところで、当事者が政策提言に取り組む「日本認知症本人ワーキンググループ」は2016年に「本人からの提案」で「徘徊」という言葉に疑問を呈しました。「私たちは、自分なりの理由や目的があって外に出かける」「外出を過剰に危険視して監視や制止をしないで」と訴え、その後、各地の自治体では、「徘徊」を使わないようにしているといいます[19]

本稿では、ここからあとの「徘徊」を「外出」と言い換えます。大牟田市でも、認知症の人の事故や行方不明を防ぐ訓練の名称から「徘徊」を外し、2015年から「認知症SOSネットワーク模擬訓練」として実施し、スローガンも「安心して徘徊できるまち」から「安心して外出できるまち」に変えたのだそうです。