インクルーシブ・メディア Encouraging Inclusivity in Media -メディアによる包摂と排除-

ノート|01

チャリティか、感動ポルノか? 身体障害とメディア表現について考える

小川 明子

  1. 1
  2. 2
  3. 3

バリバラからの告発 — チャリティ番組は「感動ポルノ」?

2016年夏、NHK教育テレビの『バリバラ』(http://www6.nhk.or.jp/baribara/about/)は、番組のなかで、同時間帯に放送していた民放チャリティ番組「24時間テレビ 愛は地球を救う」での障害者の取り上げ方が「感動ポルノ」に過ぎないとして、当事者たちからの批判的意見を取り上げ、話題になりました。(http://www6.nhk.or.jp/baribara/lineup/single.html?i=239)

「感動ポルノ(Inspiration Porn)」とは、オーストラリアのアクティビスト、ステラ・ヤングが用いた用語で、その内容はTEDスピーチ(http://digitalcast.jp/v/20158/)で知ることができます。彼女の説明によれば、障害者は、障害を持たない人びとが「自分が恵まれている」と認識するためでも、あるいはポジティブな姿や言動で、一般の人びとに感動を与えるために存在しているわけでもありません。そうした勝手なイメージで障害者を見ようとすることは、障害を持たない人自身を満足させるものでしかない(ポルノと同じ!)と主張するのです。

ちなみに『バリバラ』は、2012年にスタートした障害者のための情報バラエティ番組(バリアフリー・バラエティ)で、ウェブサイトによれば、2016年からは障害のある人に限らず、生きづらさを抱えるすべてのマイノリティの人たち(LGBTQや発達障害など)にとってのバリアをなくすための番組、多様性を尊重する番組(日曜夜7時(再放送は木曜深夜)から放送)と紹介されています。これまであまりテレビに出演することがなかった障害を持つ人びとが司会者や出演者として活躍していることや、障害を持つ人の(時に自虐的な)お笑い企画、見せかけだけのバリアフリーを攻撃する企画など、福祉番組としても、またバラエティのジャンルからも新しいタイプの番組と話題になりました。ちなみにこの番組を立ち上げた当時のプロデューサー、日比野和雅氏は、福祉の問題にクリエイティブに取り組んでいくことの必要性を訴えておられます。また社会学の塙幸枝氏は、「笑い」という視点から、バリバラは「健常者を笑うことで、過去の「笑う者/笑われる者」という構図の逆転をはかっている番組」と分析しています(塙、2016)。

24時間テレビ40年の歴史

さて一方で、批判の対象とされた日本テレビの24時間テレビ「愛は地球を救う」も歴史ある有名な番組です。最近ではマラソンを誰が走るのかが話題になっていて、内容的にも2017年度は一般的なドラマなどが多く、必ずしも障害者ばかりを扱ってはいない印象です。日本テレビのウェブサイト(http://www.ntv.co.jp/24h/history/)によれば、この番組が始まったのは1978年のこと。第一回のテーマは「寝たきり老人にお風呂を、身障者にリフト付きバスと車椅子を!」でした。このときの寄付金総額は12億円弱で、リフト付きバス4213台、訪問入浴車92台、そして電動車椅子が361台贈呈されました。たった24時間のチャリティ・キャンペーンとしては十分な寄付でしょう。当時、番組を立ち上げた都築忠彦氏は、この番組企画について「障害をもつ人びとを見えないところに追いやって、お互いに同時代に生きていることを負い合おうとしない状況を突き崩そう」として始まったとし、初期には「事実だけを提出」することを心がけていたと述べています。

その後1980年には、「カンボジア・ラオスの難民のために」など海外の問題にもテーマが広がっていきますが、1990年頃からは「出会い(1993)」「チャレンジ!(1994)」など、漠然としたテーマへと移行しています。とはいえ、年によって差はありつつも、ほぼ10億円前後の寄付が集まり、さまざまな機材が福祉業界に贈呈されています。

さてここ数年、とりわけバリバラによる批判後は、24時間テレビに対して多様な批判が強まっているようですが、そこには二つの層があるようです。一つは、海外のチャリティ番組(英語でtelethon)が主に出演者のボランティアで成り立ち、出演料やコマーシャル収入とは切り離されて放送されているチャリティであるのと比較し、この番組では高額な出演料が出演者に支払われていることや、コマーシャル目当ての営業目的であることを批判するものです。あるいは、社会的な問題に発展させることなく、「 障害者=頑張っている人」だけで押し通すやり方にも批判があります[1]。チャリティという習慣が欧米ほど浸透していない日本では、人気のあるタレントを使うことで関心が高まるという利点もあるのでしょうし、放送局にどこまでのチャリティを期待するかという論点はありそうですが、障害者を助けると言いつつ、身銭を切らない放送ビジネスに対する批判と考えると、昨今「マスゴミ」といってマス・メディア産業のありようを無批判に批判する言説とも重なっているように見えます。