インクルーシブ・メディア Encouraging Inclusivity in Media -メディアによる包摂と排除-

ノート|05

社会的弱者に寄り添うもう一つのジャーナリズム ~原爆小頭症を支え合うきのこ会の歩みから~

土屋 祐子

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3.「きのこ会」の支援とジャーナリズムの困難

秋信氏が記したルポはきのこ会の立ち上げまでの記述で終わっていますが、その後の会の歩みについては、現在の事務局長で中国放送カメラマンの平尾直政氏が2010年に「きのこ会の『灯』受け継ぐ」という記事にまとめています[3]。1965年7月に「きのこ会」という原爆小頭症の家族の会が立ち上がり、秋信氏は中国新聞記者の大牟田稔氏らと会の事務局を務めることになりました。きのこ会の活動の中で、小頭児たちは原爆症に認定され、充分とは言えないまでも保障を受けることもできるようになって行きます。また、ともするとセンセーショナルに取り上げようとするマスメディア報道に対して、個人ではなくきのこ会を取材の窓口として小頭児を守る対応も行うようになりました。きのこ会の活動は、ロウソクを継ぎ足し火を灯し続けるように、小頭児が高齢化し彼らの親が亡くなっても、兄弟や支援者が引き継ぐなどして続いており、秋信氏も会をサポートし続けました。

いないことにされていた原爆小頭児たちの存在を明らかにした秋信氏の活動は、改めて世の中の出来事を調べて伝えるジャーナリズムの意義を感じさせるとともに、ジャーナリズムとは何かという問いを喚起するでしょう。一般的に記者は取材者とは一定の距離を持ち客観的に記事を書くものとされます。秋信氏はきのこ会立ち上げの前、取材の中で、あなたたちは本を出してしまえば終わりだろうけれど、自分たちは世間の目にさらされながら生きていくことになるが、責任をもってこの子たちと一生つきあってくれるのか、と問われたそうです[4]。この問いに秋信氏は、生涯に渡って事務局を務めるなど、きのこ会の支援をしていくことで応えていきました。

前述の平尾氏がディレクターとして制作したドキュメンタリー「原爆が遺した子ら~胎内被爆小頭児をささえて~」は、こうした秋信氏のきのこ会との関わりを、生前のインタビュー映像を交えながら描いた映像です[5]。作品では、きのこ会の取り組みについて秋信氏はスクープになりそうでも放送せず、本来のジャーナリズム活動を封じながら「書いた責任」を果たしたと語られています。当時、小頭児の存在が明らかになり、報道が過熱していく中で、親たちの多くは自分たちのことを広く知られること望みませんでした。そのため、個人取材を拒否し、窓口をきのこ会の事務局が引き受けたことで、他のマスメディアの記者たちからは小頭児を囲い込んでいるとの批判の声も上がったそうです。映像の中で秋信氏は、自分はビデオには手を触れず、きのこ会の下働きだけしたとふり返っています。秋信氏にとって、書いた責任は支えることであり、同時に小頭症についてのジャーナリズム活動を止めることでもあったのです。

4.もう一つの「ケアのジャーナリズム」

ジャーナリズムにおいて伝えることと支えることが相反してしまうのはなぜなのでしょうか。林香里・東京大学教授は『<オンナ・コドモ>のジャーナリズム』において、戦後の日本のマスメディア産業では、言論の自由という基本的人権に基づく「権力の監視」や「市民の知る権利の代行」を目的として客観性を重んじる「“正義”のジャーナリズム」が「正統」とされてきた一方で、そうした「理想」が日常的なジャーナリズム活動と必ずしも合致してこなかったことを指摘しています[6]。その上で林氏は、日々の実践においては「“ケア”のジャーナリズム」と呼べるようなもう一つのジャーナリズムが営まれてきたと述べ、倫理学で重要視されている「ケアの倫理」を導入し、「ケアのジャーナリズム試論」としてその体系化を試みています。ここでの「ケア」は介護や育児での具体的な世話をするような行為ではなく、「社会的弱者を取り残さずに手を差し伸べること、そしてその責任を指し示す抽象的概念」とされます[7]。林氏がまとめた「客観的ジャーナリズム」と「ケアのジャーナリズム」との対照表によれば、「基底思想」は前者が「自由主義」であるのに対し後者は「ケアの倫理」であり、「ジャーリストのあり方」は前者が「対象から独立、観察者」であるのに対し、後者は「対象に依存、支援者」であるとされます[8]。また、「ジャーナリストの機能」は前者が「スピード、正確さ、バランス、複数性、意見と事実の峻別」であるところ、後者は「人から言葉を引き出すこと、相手への思いやり、問題の察知」、そして「スタイル」については、前者が「客観的、情報提供的」であり、後者は「主観的、コミュニケーション重視、ストーリー・テラー、対象への共感」とされています[9]

この体系化によれば、客観的ジャーナリズムが基本的に向き合っている相手は知る権利を持った読者であり、ケアのジャーナリズムにとってそれは取材対象者自身という点にそもそもの違いがあることがわかります。林氏が指摘するように客観的ジャーナリズムは西欧近代の自由主義思想に基づく自律した市民を前提としていますが、実際の社会にはそうした市民像からは排除された、自分では解決できないような問題を抱える社会的弱者が多く存在しています。そうした人びとに寄り添って声を拾い上げるには、客観的ジャーナリズムの理念や手法だけでは不十分で、柔軟な取材姿勢や方法、表現様式が必要となるでしょう。そうして初めて多様な人びとを受け入れる社会を作っていくための情報資源を提供していくことが可能となるのではないでしょうか。そして実際、きのこ会に対する秋信氏らの取り組みを一例として、一人ひとりのジャーナリストによって、社会状況や目の前の人たちの必要性に応じて、手を差し伸べるような実践が営まれてきました。ケアのジャーナリズムというもう一つの概念においては、小頭症の家族が集うイベントを催すことは彼らの苦悩を和らげ安心して自らの思いを表す場を設けるというジャーナリズム活動の一端に他なりません。しかし、客観的ジャーナリズムの観念に捕らわれたままだと自ら手を差し出す活動は逸脱した取り組みということになり、ジャーナリストは職業倫理との中に葛藤を抱えることにもなるでしょう。このケアのジャーナリズムの“提起”が重要なのは、そもそもジャーナリズムは歴史社会的に形成されてきたものであり絶対的に唯一のあり方があるわけではないということです。そして、理想や思想からではなく現実の実践の場から立ち上がるジャーナリズムを肯定し、社会に必要なジャーナリズムを考えていくという発想だと言えます。