インクルーシブ・メディア Encouraging Inclusivity in Media -メディアによる包摂と排除-

ノート|02

匿名・実名報道から考える社会的包摂とメディア

小川 明子

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「彼ら」から「私たち」へ ーメディアを用いた間接的な社会参加と包摂の可能性

最後に、メディア表現によって社会参加や社会的つながりの獲得へと結びつけていこうとする実践を3つ紹介したいと思います。

当事者の視点を生かしたメディア発信 −ここリカプロダクション

一つ目に、精神障害を持つ人びとの取り組み、札幌にある就労継続支援B型事業所、ここリカプロダクション[12](http://www.kokoro-recovery.org/kokopro/)の活動を紹介します。ここでは、世間の偏見に晒されやすい精神障害を持つメンバーが、地域で依頼された講義や研修の運営、映像制作、広報物作成の仕事を行っています。そのほかに、プロダクションの紹介ビデオをウェブサイトで公開したり、自らを含むさまざまな生きづらさや想いについて、多様な事業所や学生、人々を招いて語るラジオ番組「つながるここプロラジオ」なども制作し、地元コミュニティFMで放送しています。

YouTubeで公開されている2018年1月30日放送分の「つながるここプロラジオ」は、交流のある同様の障害を持つ浦河ひがし町診療所の人びとに「私にとっての自己表現」をテーマに話を聴いた番組です。音楽、歌の制作や手芸などの自己表現だけでなく、全国の人との交換日記、施設職員へのからかい、靴の掃除、煮込み料理を作ることなどの多様な自己表現が、その理由、自己分析などとともにユニークに表現されていて、実に聞き応えのある内容になっています(https://www.youtube.com/watch?v=reK9pAwMCtw&feature=youtu.be)。こうした日常のささやかな声は、制作者たちを含む同様の障害を持つ人びとの参考になるばかりか、一般のリスナーにとっても、自分たちとは違うと思っている人たちが、実は「私たち」であることを感じさせる内容のように思われます。また声だけでメッセージを伝えるラジオは、話をする側にとっては顔や名前を出す必要がないので、比較的緊張せず、また聴く側も気軽に聴くことができるメディアです。地域社会において、福祉系の事業所は山ほどあるはずですが、多くの人は、そこで、何が行われているのか、どういう人がいるのか、私たちが何を協力できるのかなどを知る機会はほとんどないかもしれません。コミュニティ・ラジオという地域に密着したラジオでこその番組のアイディアです。

ここリカプロダクションでは、こうした番組だけでなく、映像制作という仕事を請け負うプロセスにおいても、他のメンバーとの議論や協力、地域の人々との連携などを重視しています。メディアを対象にした事業所というのはあまり聞いたことがありませんが、考えてみれば、取材や撮影、編集、納品といったメディア表現の作業は、人との付き合いを苦手としやすい彼らにとって、メディアに向き合いつつも、他者との連携を図り、社会に発信する点でふさわしいものかもしれません。また多くの人にとってなじみの薄い精神障害についても当事者視点で発信できる、まさに「プロダクション」というわけです。

刑務所と社会を結ぶラジオ

続いて二つ目に紹介したいのは、多くの人にとって困難な「加害者側を包摂」しようとする試み、受刑者を対象にした地域メディアの番組です。札幌にあるコミュニティFM、三角山放送局の番組「苗穂ラジオステーション」(http://bemall.jp/sapporo/iJAtjDCQLHwWiZ)のリクエストカードが配られるのは札幌刑務所の受刑者たち。「受刑者にも社会とのつながりを持ってほしい」と考えた 当時の刑務所長と、少数派の声を消さないことをテーマに、受刑者が社会に復帰した際、差別と偏見をなくす役割を始めたいと考えた三角山放送局の間で始まりました。受刑者たちは任意で、リクエスト曲とメッセージを書き入れ、毎回50-80枚のカードが回収されるそうです[13]。リクエストカードに添えられたメッセージは個人情報を省かれた状態で、刑務所内はもちろん、電波を通じて地域にも放送されます。亡くなった家族への懺悔、故郷の友への想いなどの様々なメッセージと、多くの人びとも同じようにその時代に口ずさんだ曲が流され、リスナーからは「受刑者についての印象が変わった」というコメントが局宛にあったといいます。

札幌刑務所教育部の村崎誠三さんによれば、放送するメッセージを書くという作業は、刑務所としては、自分の考えをまとめるトレーニングになり、受刑者の心理状態や想いを汲み取る上で意味がありそうとのことです。また受刑者同士も、基本的には自由な私語が認められていない状況で、他の受刑者の経験や想いを聴くきっかけになり、自らと同じ部分を認識して気持ちを共有し、また自分も「繰り返さない」という気持ちを高める契機にもなっているのではないかと語ります。犯罪を繰り返す人びとは、コミュニケーションがうまくできない場合もあるため、想いを吐露し、きちんと伝えることなどにおいても意味があるかもしれません。 ちなみに、刑務所の中でラジオ番組を制作し、放送する試みは、府中や富山、調布などの刑務所でも行われているそうですが、その内容を刑務所の外にも放送しているのは札幌だけのようです。

番組のDJは革工芸作家で、受刑者の指導も行っている塚原紀子さん。彼女は時に厳しく受刑者を叱ることもあるそうですが、塚原さんに温かく叱ってもらうことを願って、メッセージを書いてくる受刑者もいるようです。塚原さんへのお手紙形式というのがまた、表現のしやすさとなっているかもしれません。

ちなみに、受刑者や元受刑者の社会復帰を目指す民間のメディアコミュニケーション/アートプロジェクトが、北欧などでは数多く行われており、彼らが出所後、社会的なつながりから切り離されないようにする試みも盛んに行われています。

ヤクザと憲法?

三つ目に紹介したいのは、ヤクザも包摂されるべきかどうかを問うた東海テレビのドキュメンタリー『ヤクザと憲法(http://www.893-kenpou.com/)』です。ヤクザは、古い任侠映画や事件のニュースには頻繁に登場していますが、この作品のプロデューサーは題材としてヤクザを扱うに当たって、以下のような空白を感じたといいます。

暴力団対策法、続く各自治体による暴力団排除条例の施行以降、警察官は暴力団の内部に協力者を作りにくくなった。つまり、濃密交際を疑われるのを避けようとしているうちに、暴力団組織の内情に疎くなったというのだ。‥‥実態がよくわからないのに取り締まる。… 私はぼんやり、メディアも同じだなと思った。暴力団について何の取材もしないままニュースにしている。警察からの一方的な情報で報じ続けているのだ。他のことなら裏取りという形で 関連情報を固めてからしかニュースにしないのだが暴力団についてはその例外になっている。暴力団=反社会的勢力なのだから、それでいいのだと思考が止まっているのだ(阿武野、2016:4)。

まず、相手がわからなければと許可を得て入ったある暴力団の組事務所で、カメラが淡々と回り続けます。彼らの日常や状況、そして生い立ち。さらに本人はともかく、子どもや顧問弁護士などにまでどんどん及んでいく人権侵害とも言える社会からの排除。「怖いものは排除したい」という気持ちはわかるとしながらも、私たちの社会はこのやり方でOKなのか。番組は彼らの日常から、日本で不可視になっているものごとを炙り出そうとします。

この作品の制作プロセスを振り返った書籍の中で、監督の圡方氏は、家宅捜索の報道において、捜査員の側にモザイクがかかり、罪を犯してもいない組員の顔出しはまかり通っているという現状や、放送後の反響を例に、忖度や暗黙の取り決めに縛られている放送の状況を、以下のように批判的に振り返っています。

『ヤクザと憲法』の放送後の反響は、九割が高い評価だった。ほとんどが「見えないものをよく見せてくれた」という感想だった。「反社会的勢力なんて扱いやがって」という声で埋め尽くされるかもしれないと予想していた私たちは驚いた。視聴者を信じて送りだせばきっと受け止めてくれるといいながら、その視聴者を一番信じていなかったのは実は私たちだったかもしれない。… 空気を読むことがよくない、とは言わない。でも、時には、空気を感じつつもあえてそれに抵抗する覚悟が必要なのだろう(圡方、2016:157)。

プロフェッショナルなメディアに問いを投げかけ、状況を変えていくのもまた一つの実践かもしれません。報道への違和感や、逆に賛同や応援といったかたちで放送局や新聞社に意見を送ることも、私たちは状況を変えていくことができるはずです。送り手の背中を押すのは、私たちかもしれません。

参考文献

  • 阿武野勝彦「『ヤクザと憲法』が問いかけるもの」東海テレビ取材班編『ヤクザと憲法』岩波書店,2016.
  • ゴッフマン,E.『アサイラム』誠信書房, 1984.
  • 斎藤環「『日本教』的NIMBYSMから遠く離れて」現代思想第44巻第19号pp.44-55,2016.
  • 曽我部真裕「『実名報道』原則の再構築に向けて ―『論拠』と報道被害への対応を明確に」Journalism 317.pp.83-90, 2016.
  • 内藤正明「実名報道と匿名報道の社会的役割:「国民の知る権利」と「少年法61条 推知報道の禁止」名古屋外国語大学外国語学部紀要 33, pp97-125, 2007.
  • 西角純志「津久井やまゆり園の悲劇 -「内なる優生思想」に抗して」現代思想第44巻第19号pp.204-212,2016.
  • 野沢和弘「メディアと障害 -事件報道について」小児の精神と神経 48(3) 197-203,2008.
  • 圡方宏史「「暴排条例」とメディア 「忖度のくに」ニッポン」東海テレビ取材班編『ヤクザと憲法』岩波書店,2016.
  • 毎日新聞2018.1.4 「被害者報道 実名か匿名か」
    https://mainichi.jp/articles/20180104/ddm/010/040/025000c
  • 松本俊彦「相模原事件:妄想なのか思想なのか」ヨミドクター 2016.8.29
    https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20160829-OYTEW176615/