インクルーシブ・メディア Encouraging Inclusivity in Media -メディアによる包摂と排除-

ノート|03

「認知症」の「価値」を見出す メディアに描かれた存在から、記録し表現する主体へ

松浦 さと子

  1. 1
  2. 2
  3. 3

世界の認知症のつながり 京都で2017年国際会議

「国際アルツハイマー病協会国際会議」が2004年、初めて日本で開催された当時、その症状はまだ「痴呆」と呼ばれていたことは前述しました。当事者が登壇して思いを語ったことで、この問題が世界共通の課題だと認識され、国内の意識が変わり「認知症」の語が提案されたのでした。そして2017年4月26~29日、「認知症:ともに新しい時代へ」をテーマに第 32 回の大会が再び京都で開催され、世界とつながり経験を分け合い「認知症になっても安心な社会」をめざすことが目的となりました。

介護当事者の立場から認知症ケアを推し進めてきた公益社団法人「認知症の人と家族の会」[18]は1980年に京都で活動を始め、この大会開催を進めてきました。「『家族の会』Youtubeチャンネル」で映像発信がなされ、そこには会議の報告映像があります。なかでも若年性認知症の当事者として登壇した「おれんじドア(ご本人のためのもの忘れ総合相談窓口)」代表丹野智文さんの「私たち当事者は守られるのではなく、目的を達成するために、支援者の力を借りて課題を乗り越えることが必要だ」とのスピーチは力強いものです。丹野さんは前年2016年に当事者活動の先進地である英国の「スコットランド認知症ワーキンググループ」を訪問した経験から当事者自身の分科会を開催しました。スコットランドでは当事者が自治政府の認知症に関する施策の立案、評価に参加しているのです。

「注文をまちがえる料理店」 まちがえちゃったけど、まあいいか

厚生労働省が策定したオレンジプランに認知症カフェの開設[19]が謳われ、各地に広がっています。認知症の方々がまちに出て気軽に交流できる場を増やしていくことが狙いです。ときには認知症の方がウエイター役に取り組んでみることもあるようです。国際チェーン展開しているコーヒー店でも取り組みが始まりました[20]

ところが2017年には、さらにユニークな試みが話題になりました[21]。「注文をまちがえる料理店」[22]、宮沢賢治の「注文の多い料理店」がヒントになったプロジェクト名です。まちがえるの「る」は、正しくは、横倒しになっちゃっています。「忘れちゃったけど、まちがえちゃったけど、まあいいか」が、出版された本のサブタイトル。スマイルの口元からペロリと舌を出しているてへぺろマークはそのシンボルです。

認知症の高齢者がすべてのホール係をつとめるレストランのオープンを、テレビ局のディレクター小国士朗さんが呼びかけ、認知症介護の第一人者である和田行男さんが委員長をつとめる実行委員会が実施、介護サービスや、デザイン、IT,ファンドレイジングの専門家たちが参加、実現しました。注文したメニューと違う料理や、よそのテーブルの注文が運ばれてきたりすることも楽しもうという試みです。ホールで働いているスタッフ全員が認知症の方で、間違いが起きても、スタッフもお客さまも笑顔が絶えない「注文をまちがえる料理店」[23]。2017年6月に実験的に開店、2017年9月に3日間限定でオープンしました。

タイトルに続いて表紙に紹介されているのは「まちがえることを受け入れて まちがえることを一緒に楽しむ人たちの笑顔」。「『認知症を抱える人』が接客をする不思議であたたかいレストランのものがたり」。その実現のために多くの人々がクラウドファンディング[24]で寄付をし、予想を超える額を集め実現しました。現在、このレストランへの関心は各地で高まっています。2018年3月に小国さんは京都で講演、会場から「京都でも開きたい」「企業への協力要請はどのようにしたのか」との質問が相次ぎ、「それぞれの地域に合った方法で広がってほしい」と答えたそうです。きっと全国に広がっるムーブメントになりそうですね[25]

認知症を「コスト」から「価値」へ

認知症の人々、介護者、客、シェフ、介護のプロ、デザイナー、IT。さまざまな人々が、「注文を間違える料理店」に共感し、認知症の人々と称え合い楽しんだ様子を、各国の記者が取材し、先駆的な日本のこの取組を世界に報道しました。

この魅力に満ちたレストランを「『テレビ局』の関係者が局を離れて活動しているところがいい」「新しい『副業』」と、同じテレビ局で働く市川衛さんが紹介しています。(小国さんは著書ではテレビ局名を明記していませんが、番組を作らない「異端ディレクター」として取材[26]を受けています)

これまで人々に「コスト」と考えられてきた認知症を、小国さんらはエンターティメントという「価値」あるものに変える[27]、と表現していました。何よりメディア自身が、その役割において変わってきているのではないでしょうか。

避ける、隠す、伏せることを余儀なくされたかつての「認知症」。40年以上も前に文学作品の映画化・ドラマ化でマス・メディアが描き、暗く絶望的なものに固定化され、大いなる社会問題として人々にとって重くのしかかった「コスト」でしかありませんでした。そして、人々が「私だけは」「私の親だけは」そうならないと思い込もうとし、マス・メディアがこの話題を避けている間に、事態はますます深刻になっていました。

しかし時代は変わり、いまメディアで「認知症」に向き合い働く人々は世代交代しつつあるようです。長時間労働のマス・メディア産業従事者というよりも、組織内外を自由に行き来し、あるいは組織と離れてたくさんの仲間や多世代とつながっているメディアパーソン。病を体験し、介護の当事者たちもいます。ジェンダーに敏感な人々も若い層から増えているようです。何よりその活動は、ソーシャルワークの様相を呈しています。

かつて、ギョーカイ人と呼ばれ、都市中心の閉じた世界にいた、典型的な「オトコ」社会の人々が「認知症」の暗く絶望的なイメージを家族のなかに固定化したというのは言い過ぎでしょうか。現在、メディアパーソンたちは、「認知症」が置かれた、家庭、地域、街路に、マス・メディアの内外から当事者として近づこうとしているのかもしれません。

認知症のイメージを画期的に変え大成功したこのプロジェクトは、テレビ局の取材活動でのグループホームとの出会いがきっかけになって生まれましたが、このことは認知症に対してメディアにできることがまだたくさんあることも示しているのではないでしょうか。そして、著書で小国さんが「テレビ局の持っている価値を」「社会に還元する」と宣言しているように、「伝える」だけでなく、社会に対して「実践」できる人々が変化をつくっています。

「痴呆」から「価値」あるものへ。メディアに描かれた「認知症」の変化を追うと、実践を伴った数多くのメディアパーソンがいたことがわかったのでした。

参考文献、サイト

  • 津田正夫・平塚千尋編,2006,『新版 パブリック・アクセスを学ぶ人のために』世界思想社
  • スピーゲル,L.,山口誠訳,2001,「家庭の理想形と家族の娯楽 ヴィクトリア朝時代から放送の娯楽まで」吉見俊哉編『メディア・スタディーズ』せりか書房,p.269
  • Spugel, Lynn. (1992): Make Room for TV, University of Chicago Press.山口誠訳,「家庭の理想型と家族の娯楽—ヴィクトリア朝時代から放送の娯楽まで」,吉見俊哉編, 2001:『メディア・スタディーズ』せりか書房
  • 浅川澄一,2017,「『恍惚の人』から45年、認知症書籍が「本人の声を聞く」内容に変化した意味」
    http://diamond.jp/articles/-/130828?page=2
  • 岡野雄一,2012,『ペコロスの母に会いに行く』西日本出版社
  • 小国士朗,2017,『注文をまちがえる料理店』あさ出版
  • 小国志朗2007「注文をまちがえる料理店、世界に広がるか『てへぺろ』の輪」
    https://forbesjapan.com/articles/detail/1784